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キリスト教と政治

 投稿者:タジマKヒロアキ  投稿日:2009年 7月 9日(木)17時53分53秒
  XXXさん、日本国憲法第20条はご存知ですか?  

キリスト教と政治

 投稿者:xxx  投稿日:2009年 7月 9日(木)00時26分51秒
  幸福実現党というのできたが、公明党より期待できそう
幸福実現党が頑張ってくれれば、キリスト教の格、宗教の尊厳が上がるかも。
 

残された者

 投稿者:オリーブの木  投稿日:2009年 7月 6日(月)22時15分40秒
  黙示録13:5〜10には、次に示す通り、獣が聖徒に戦いを挑む旨が記述されています。

この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。
そこで、獣は口を開いて神を冒涜し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを冒涜した。
獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、
また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた。
地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書に
その名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう。
耳ある者は、聞け。
捕らわれるべき者は、捕らわれて行く。剣で殺されるべき者は、剣で殺される。
ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である。


また、黙示録14:1〜4には、次の通り書いてあります。

また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて、
その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた。
・・・・・
彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいをうたった。
この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、覚えることができなかった。
彼らは、女に触れて身を汚したことのない者である。彼らは童貞だからである。
この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く。
この者たちは、神と小羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた者たちで、
その口には偽りがなく、とがめられるところのない者たちである。


彼らは、神と小羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた者たちで、残された者です。
黙示録13章直後の14:1に「また、わたしが見ていると、・・・」と書いてあることから、
彼らは、獣と同時代に生きる者です。


彼らのうたう歌は何でしょうか。
ダビデのうたう歌と言えば、すぐ気付く通り、信仰を表わすものです。

イエスはマタイ10:32〜13で、次の通り言いました。

だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、
わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。
しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、
わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。

黙示録13:8に、次の通り書いてあります。

地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書に
その名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう。

残された者は、神と小羊に献げられる初穂として、
人々の中から贖われた者たちですから、当然、獣を拝みません。


黙示録14:3に、次の通り書いてあります。

彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいをうたった。
この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、覚えることができなかった。

「この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、覚えることができなかった。」とあることから、
彼らが信仰を言い表す時は、各々別々に定められていると言えるでしょう。

残された者は、神から特別な働きをすることが期待されています。
 

フリーティー

 投稿者:アン・シャーリー  投稿日:2009年 7月 4日(土)21時07分30秒
  神ヤハウェが製作した十戒の書かれた二枚の石板
山から意気揚々と降ってきたモーセはイスラエルの民が偶像の牛を神としてランチキパーティしているのを見て、怒り狂い あまりの激情にせっかく神から戴いた二枚の石板を粉々に打ち砕いてしまいました。

後日 神は打ち砕かれた板とそっくりな石板を人間に用意するように要求し、新たに十戒を書いてモーセに渡しました。

多分神の側でも思い直したことがあったのではないでしょうか

すなわち、最初の板は百%神製作でしたが、二番目の石板は人間が用意したものに神が製作した人間と神との共同製作作品でした。後日、契約の箱に二枚の十戒の板とマナの入った壺とアロンの杖と共に、最初にモーセが打ち砕いた石板のかけらも入れたそうです!

私たちが純粋に理想に燃えて行動しても、最初の十戒の板のようにそれは打ち砕かれ挫折します。理想はあくまで理想 失敗し、挫折し、それでも神に頼り行動するとき、云わば神との共同作業が祈りによって働くときに、二番目の石板のように神のことばが生きて働くのではないでしょうか。一度や二度の挫折にめげないで、どうか最初の志しを貫き通してください。
 

岩の上に建てる信仰

 投稿者:オリーブの木  投稿日:2009年 7月 4日(土)10時23分10秒
  イエスはマタイ7:24〜27で、次の通り言いました。

そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。
わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。

「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者」とは、イエスの言葉を聞いて、その言葉により生きる人を言います。


聖書の中には難しい言葉が出てくる時があります。
その時、その言葉の意味を考えずに受け止める人々がいます。
他方、色々な資料を参考にして、その言葉の意味を理解し、自分のものとしていく人々もいます。

その難しい言葉に疑問を投げかける声があった場合、
言葉の意味を考えなかった人々は、その疑問の声に応じてしまう可能性があります。
けれども、その言葉の意味を理解した人々は、簡単には疑問の声に応じないでしょう。


イザヤ 65:1に、次の通り書いてあります。

わたしはわたしを求めなかった者に問われることを喜び、
わたしを尋ねなかった者に見いだされることを喜んだ。


種まきの譬えについて、イエスはマタイ13:23で、次の通り言いました。

良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、
あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。


神は、御言葉を悟る人を喜ばれます。
 

奇跡と主宰

 投稿者:平川 雅雄  投稿日:2009年 7月 3日(金)02時56分31秒
  科学の発達した現代に生きる私たちは、
旧約・新約・の聖書に書かれた奇跡を信じることができるか?

今、自然界(宇宙)を支配するとされる
重力・電磁気力・弱い力・強い力は、
大統一理論により、ひとつの力に集約されつつあります。
われわれ、クリスチャンに大切なのは、
物理法則に嫌疑をかけるのではなく、
正しい理論は素直にナチュラルに受け入れてかつ、
「その広大無辺の物理法則すら、創造され主宰される神が在られる」
とゆう確信を揺るがせないことです。

つまり、「聖書に書かれた奇跡は科学的に正しいのか?」
と自ら愚問する前に、
あるいは、「奇跡を科学的に説明しよう」などと思い上がらず、
「奇跡を起こされた主宰の神が存在する」
とゆう確信が重要なのです。

ただし、(神の御子・主イエス・キリストが人となられ)、
(死んで3日後に復活された)とゆう最大の奇跡は、
レトリックによる教示なんかではなく、
まぎれもなく、すべてが在りのままの事実であり、
また、これから起こるべく奇跡の証しでもあります。
 

神の奇跡

 投稿者:オリーブの木  投稿日:2009年 7月 2日(木)23時20分48秒
  円谷藤子さん、こんにちは。

イエスの言った言葉「平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」の意味は
表面的な融合ではなく、信仰の戦いを求める、という意味です。

さて、湖の上を歩いた奇跡について考えてみましょう。

神は、この世を創造されました。
この世を創造するということは、単に物質を創るだけではなく、物理的な力も創られたことを意味します。
物理的な力には、重力、電磁力、及び素粒子に働く、強い相互作用、弱い相互作用があります。

創るということは、単に過去に創られたことだけを意味するのではありません。これからも新たに創ることを意味します。

物質と物理的な力を創ったということは、物質の構造を変え、また物理的な力を操作する力もあるいうことです。

神は、その力の一部をイエスに与えました。
イエスは神から授かった力により、時に奇跡を行い、水をぶどう酒に変えました。

また、物理的な力を操作する力により、自分自身に働く重力を0にして、湖の上を歩きました。

イエスの復活の証人の話に耳を傾け、イエスの奇跡を聞くとき、神の力が果てしもなく大きいことに気付きます。
 

聖書の解釈

 投稿者:杉菜まゆか  投稿日:2009年 7月 2日(木)20時14分58秒
  聖書は、自分勝手に解釈しないで、教会で学ぶことが大切です。聖書にはどの個所にも、医者に通うなとか、輸血拒否などという内容は書かれていないので、自分勝手に判断することは危険です。  

聖書は

 投稿者:アン・シャーリー  投稿日:2009年 7月 2日(木)19時45分34秒
  語弊があるかもしれませんが…聖書は非常に危険な書物です。

勿論、それは取り扱いを慎重に行っていれば、それは素晴らしい亭主を作り、素敵な奥さんを生み出し、孝行で思いやり深い子どもを育て 家庭内を明るいものにします。

しかし取り扱いが不味ければ 聖書を文字通り信じて 奇跡で癒やされることを願って医療拒否したり、輸血拒否する輩が現れたり、世の終わりが近いからと言って勝手に会社を辞めて、教祖の為に人生賭ける 悲惨な生活にのめり込んでしまうこともあります。そうです。キリスト教右派のように、ワザと世の終わりを早める危険な人たちを生み出してしまうこともあるのです。

ある年長者の牧師がわたしにポツリと洩らしました。「〇〇さん、クリスチャンは何も特別なことしなくて良いですからね。スーパーマンになることはないんですよ。将来は素晴らしい身体によみがえる希望がありますが、それまでは普通なごくごく平凡な生活をしていれば良いですからね。

そんな言葉を語られました。当時わたしは不遜な態度で、もっと路傍伝道や地域の人々に福音を…とガムシャラだったりして聴く耳持ちませんでした。お蔭で母教会から飛び出してしまう放蕩娘に
 

平和ではなく剣を

 投稿者:円谷藤子  投稿日:2009年 7月 2日(木)18時15分13秒
  平和ではなく、剣をもたらしにきた、というのは、ユダヤ教に対して、キリスト教が新しくもたらされたことによって、分裂が起こることの、予言でないにしろ、そういうニュアンスですよね。平和の神が剣をもたらしにくるわけはない。

また、乳飲み子を持つ女の場合、逃げるのが大変だから、神は哀れまれた。身重の女ももちろん逃げづらい。

湖の上を歩くキリストは、言葉やエピソードどおりというより、やはり信仰の問題であって、信じるものは沈むことはない、信仰の奨励みたいなものだろうか。聖書を言葉どおり、文字通りとってはいけないところもあるでしょう。

目に見えない神というのも信じよというのは、むつかしいことであって、肉体の目で見えないものを、いわば「心の目」で見なさい、といわれたほうが、なんとなくしっくり来ますね。
 

実は私も

 投稿者:杉菜まゆか  投稿日:2009年 6月20日(土)07時54分24秒
   実は私も、脂肪肝なんです。別に病気ではないが、毎日がしんどいので、マリアアザミを飲み始めたら、良くなりました。失禁やトイレが我慢できなくなる原因になりますので、早めに治療しなければなりませんね。  

Rise&Shine vol.6!!

 投稿者:うだい  投稿日:2009年 6月18日(木)16時17分30秒
  こんにちわ〜、アメリカはオレゴン州からメールをしています。
アメリカ北西部にも多くの日本人留学生がいまして、私たちは日本のリバイバルを願って賛美集会、修養会を行っています。是非、一度ウェブサイトのほうに立ち寄ってくだされば幸いです。皆様のうえに祝福が大きく注がれますように!

http://riseandshine.web.fc2.com/home.html

 

礼拝のご案内

 投稿者:タジマKヒロアキ  投稿日:2009年 6月17日(水)22時51分33秒
  池袋キリスト教会(池袋ゴスペル会)の礼拝です。どなたでもご参加ください。

6月21日(第3日曜)午前10:30〜12:30. 豊島区勤労福祉会館5F、第1音楽室。

7月19日(第3日曜)午前10:30より
場所‐6月と同じ。
※6月、7月は午後の集まりはありません。よろしくお願いします。
 

三つの十字架

 投稿者:平川 雅雄  投稿日:2009年 6月15日(月)01時54分14秒
  ゴルゴタの丘に立つ三つの十字架

中心には、神の御子、主イエス・キリストの十字架。
そして、両脇には二人の罪人の十字架。

わたしたちは、つい観客になり傍観者になります。
そして、過去の出来事の評論家になります。

しかし、わたしたち罪人は、
主イエスの両脇の罪人のいずれかの当人なのです。

おのれの罪を悟り、
あなたの御側においてくださいと願い
主とともに御国へ行った罪人か。

おのれの罪を認めず、
主を罵り死んでいったもうひとりの罪人か。

・・・主の救いの十字架は、いつも私たちの近くに在ります。
たたしたちは、どちらの罪人になるのか
たえず選択を委ねられているのです。

ゴルゴタの丘の出来事は、
ただの遠い過去の異国でのできごとではありません。
 

しばらく

 投稿者:荻原しのぶ  投稿日:2009年 6月14日(日)07時41分4秒
  田舎で養生しておりました、ようやく体調不良も治ったので、再始動します。久保先生もおからだ大事になされてください。  

二本のオリーブの木と・・・

 投稿者:イク  投稿日:2009年 6月13日(土)15時19分7秒
  二本のオリーブの木に例えられる二人の証人は、地上の大部分の人々にとって望まない支配者であり、悪人として報道されるはずです。彼らの死を正義の勝利とするでしょう。

子羊に似た獣の二本の角こそ、地上の人々は神の前に立つ二人の証人だと選ぶ事でしょう。
キリストを捨て、バラバを選ぶようにです。

キリストを見分ける羊はこの世に有ってこの社会で成功するでしょうか?
この世の地位有る人々にとって彼らは、融通の利かず扱い難く根性が曲がっているとみえるのではないでしょうか。

奥義の書かれた巻物は、口には甘いが腹には苦いと書いてあります。アーメン

彼らを必要以上に苦しめるなら相応の苦みを受けるはずです。
 

救いは神から来る

 投稿者:オリーブの木  投稿日:2009年 6月13日(土)08時36分44秒
  中世ヨーロッパでは、日曜日、ほとんどの人が教会に行っていました。
けれども近代になって、啓蒙思想が人々の間に伝えられ、それと共に教会に行く人々が減少しました。

現在、ヨーロッパでの礼拝出席率は10%を切っています。

特にロシアでは、共産主義により教会が迫害され、
教会に行く人は少なくなっています。

黙示録 9:20に、次の通り書いてあります。

これらの災いに遭っても殺されずに残った人間は、自分の手で造ったものについて悔い改めず、
なおも、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木それぞれで造った偶像を礼拝することをやめなかった。
このような偶像は、見ることも、聞くことも、歩くこともできないものである。

救いは神から来ます。
命の水を頂ける方が誰であるかを忘れないようにしたいと思います。
 

芸術と宗教

 投稿者:大塚直美  投稿日:2009年 6月12日(金)20時19分15秒
  ミレーの作品に、種まく人があり、これは
キリスト教由来のものだと気づきます。
落穂ひろいも、一見しては、農作業のようで
ルツにちなんでいるようです。
ここまで宗教が文化に色濃く投影されている
のは欧米の馬鹿の一つ覚えみたいなもので、
日本では逆に仏教を下敷きにしたりするのは
相田みつをや宮沢賢治みたいに少数かも
しれないですね。
 

HP

 投稿者:タジマKヒロアキ  投稿日:2009年 6月 7日(日)22時11分33秒
編集済
  ハレルヤ!!
この度HPを立ち上げました。この場をお借りして宣伝をさせて頂きます。私の絵画作品やビートレムナンツの罪人の友キリスト教会でのライブ映像、BeatRemnantsのオリジナルゴスペルの歌詞などが見れます。また、リンクを通して罪人の友キリスト教会における久保先生のメッセージも御覧いただけます。ぜひお立ち寄りください。またリンクフリーです。どんどんリンクを張って下さい。よろしくお願いします。

http://web.me.com/rockenbeatmania/タジマ K ヒロアキのホームページ/Welcome.html

 http://ameblo.jp/1st-geocities-churchl/day-20090312.html 進藤先生の3月12日のブログを開くと早道です。
 

にわかに

 投稿者:アン・シャーリー  投稿日:2009年 6月 5日(金)07時32分20秒
  それは、にわかにクローズアップされた事ではありませんでした。賀川豊彦さんの自伝的小説「死線をこえて」がPHPより再出版され、以前に国広富幸さん、黒木瞳さん出演で映画化されたものが再上映され、各地で賀川の再評価の講演が盛んとなり、今日の読売新聞でも賀川豊彦を取り上げています。
ガンジー、キング牧師、シュバイツァーと並ぶ日本ではあまりに評価の低かった賀川豊彦さんですが、雑誌レムナントでも再三記事の中で取り上げていて、再評価の気運がにわかに突然訪れた訳ではないのです。
芸者が産んだ私生児として生まれ育てられた賀川豊彦、結核を患い余命数ヶ月ならばとキリスト教の洗礼を受けて神戸の貧民窟に飛び込んでいく君、財産を惜しげもなく使い、祈りと汗と涙で真摯に貧者救済を実践する君、やくざ者でさえ彼の実直な生き様に、刀を振り回していたその場で土下座して謝り号泣し、やがて彼の植えた小さな若い芽は生協運動に発展していく。
彼が講演会を催す会場には、改心した元やくざ者や芸者たちが集まって熱気ムンムンで当時の新聞にも「会場内は涙涙の感動の雨にむせび泣く男女でいっぱい」だったそうです。
弱者の為に栄えを捨てて地上に降誕された主イエスと重なる賀川豊彦。ハレルヤ
 

聖書解釈について

 投稿者:飯田真由子  投稿日:2009年 6月 4日(木)16時58分42秒
  聖書はおそらく、十人十色の解釈があるのでしょう。
千差万別の解釈でも、それぞれが真理、真実をあらわして
いるのかもしれませんね。バイブルのミスリーディングも
誤読ではない可能性もありますし。あれだけ謎めいた書物
ですから、解釈するのも至難。できるだけ通説を読むように
しておりますが、教会に行って教えてもらうのが一番かも
しれませんよ。
 

主体的に生きること

 投稿者:オリーブの木  投稿日:2009年 6月 3日(水)22時02分12秒
  ヨハネ福音書15:4で、イエスは次の通り言いました。

  わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。

イエスに委ねつつ、自ら信仰を保つ努力が必要です。


また、マタイ10:16で、イエスは次の通り言いました。

  ・・・蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。

ここでも、イエスに委ねつつ、自ら考え、悟ることが求められています。
 

ペンテコステ

 投稿者:アン・シャーリー  投稿日:2009年 6月 1日(月)08時52分18秒
  昨日は五旬節ペンテコステでした。そして今日から6月衣替え
世間はアメリカのGM倒産か、インフルエンザか、ミサイルかといろいろ騒がしいですが私たちクリスチャンは祈りに専念しましょうすべては主の御手にあり、主に委ねつつ。

♪すべては主の御手の内にあり、明日を生きよう!主がおられる!
ファイト
 

神の御計画

 投稿者:オリーブの木  投稿日:2009年 5月30日(土)21時05分23秒
  イエスの再臨が遅れるのは、神の御計画による。
けれども人間にイエスを信じることを求めておられる。

粘土は陶器師にむかって『あなたは何を造るか』と言い、
あるいは『あなたの造った物には手がない』と言うだろうか。


これはダビデの、ある子供の話である。

彼は、争いのため王に裁定を求めに来る者をみな呼びとめ、
「あなたの訴えは正しい。けれども王は聞いてくれない。私なら正しく裁くことが出来る」
と言った。
また、彼に礼をする者があれば、その者に親愛の気持ちを表わした。

そして、イスラエルの人々の心を盗んだ。


古代イスラエルの歴史には、色々なことがあった。
古代イスラエルの歴史から学ぶことは多い。
 

関東は雨

 投稿者:アン・シャーリー  投稿日:2009年 5月29日(金)08時51分39秒
  十字架の陰さま、癒やされる書き込みありがとうございます。

そのハンネは聖歌396からですか?

──十字架のかげに泉わきて
いかなる罪も清めつくす
おらせたまえ この身を主よ〜十字架のかげにとこしえまで
 

ふたりの人の祈り

 投稿者:十字架の陰  投稿日:2009年 5月29日(金)04時14分56秒
編集済
  アン・シャーリーさん、

祈るために宮に上ったふたりの人の話(ルカ18章9〜14節)は、ご存じですよね。
一人はパリサイ人であり、もう一人は取税人でした。
パリサイ人は、目を天に向け、祈りというよりも自分自らの正しさ、りっぱな行いを自慢するかのような内容のものでした。また、「この取税人のような罪人でないことを感謝します。」とも言っていました。
しかし取税人は、隅のほうで、「神様、罪人のわたしをおゆるしください。」と、胸を打ちながら祈っていました。
さて、神様の目にどちらの人が義とされたかは、もうお分かりですね。勿論、後者です。

このように、りっぱな行いはなくとも、神様の御前で心をへりくだって、
罪人のどうしようもない自分を憐れんで下さいと祈るなら、
神様の豊かなゆるしがあります。
神様が望むものは、悔いし、砕かれた魂です。
また主は、生け贄よりも憐れみを好まれます。

十人のおとめの譬では、油壺のことで分かりずらかったかもしれませんね。
 

油を注ぐ者

 投稿者:オリーブの木  投稿日:2009年 5月28日(木)23時11分32秒
  マタイ25章に書かれてある5人の賢い乙女が持っていた油について考えてみよう。

黙示録11:3〜4には、次の通り書いてある。

わたしは、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、預言させよう。
この二人の証人とは、地上の主の御前に立つ二本のオリーブの木、また二つの燭台である。

ここに書かれているオリーブの木と概ね同じ内容が、ゼカリヤ4:11〜14に書かれてある。

わたしは言葉をついで御使いに尋ねた。「燭台の右と左にある、これら二本のオリーブの木は何ですか。」
わたしは重ねて彼に尋ねた。
「その二本のオリーブの木の枝先は何ですか。それは二本の金の管によって、そこから油を注ぎ出しています。」
彼がわたしに、「これが何か分からないのか」と言ったので、わたしは「主よ、分かりません」と答えると、
彼は、「これは全地の主の御前に立つ、二人の油注がれた人たちである」と言った。

彼らは油を注がれた者(ここでは預言者を指す)であり、また自らも油を注ぐ者である。
彼らが人々に注ぐものは、神の言葉である。

黙示録11:3〜4の二人の証人のうち、一人はエリヤと言われている。
マラキ4:5〜6に、次の通り書いてある。

見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に  預言者エリヤをあなたたちに遣わす。
彼は父の心を子に  子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように。

人々の心を神に向ける言葉を語ること、それが2本のオリーブの木が注ぐ油である。


賢い乙女も愚かな乙女も、共に最初はともし火を持っていた。
(最初は、共にイエスの言葉を心に持っていたことを意味する。)

けれども花婿が来るのが遅れたので、みな眠ってしまった。
(イエスの再臨が遅れたので、みな、どれが再臨の前のしるしか分からなくなったことを意味する。)

その時、2人の証人が出て、世の終わりのしるしについて証言し、また預言した。

賢い乙女とは、イエスの言葉だけではなく、2人の証人の言葉も大切だと考える人を言う。
彼女らは、この2人の証人の言葉を受け入れて行く。それにより、最初のイエスの言葉を忘れずにいる。

愚かな乙女とは、イエスの言葉だけを受け入れれば良いと考える人を言う。
彼女らは、2人の証人の言葉を無視する。その結果、イエスの言葉を無視してしまう。

黙示録11:8に、次の通り書いてある。

彼らの死体は、たとえてソドムとかエジプトとか呼ばれる大きな都の大通りに取り残される。
この二人の証人の主も、その都で十字架につけられたのである。

ここから読み取れる通り、2人の証人の主はイエスである。

ルカ9:48に、次の通り書いてある。

わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。
わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。

2人の証人を受け入れない者は、イエスの言葉を無視する者である。
イエスは彼らに対してどうするか。黙示録3:19に、次の通り書いてある。

すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。
だから、熱心になって悔い改めなさい。
 

ジャスト・モーメント

 投稿者:アン・シャーリー  投稿日:2009年 5月28日(木)19時36分52秒
  ひょっとしたら、わたしは、愚かな乙女になるかもしれない。なぜならば、わたしは自己申告するなら、とてもでないが「よくやった!忠実な者よ」と呼ばれるようなことをしていないのだから
教会礼拝も月に一度参加出来ればいい方 最近は殆ど行ってないし、聖餐の種入れぬパンと葡萄酒(葡萄ジュースの場合もあり)にも与れていない。普段の生活でも以前は主を証しすることを喜んでしていたのに…正直、今の私は、仕事や人間関係、ファッションや食べ物ばかりに関心がある
これではいけないと思いながらも、祈るでもなく、毎日を安穏に生きているわたし
ああパウロじゃないけど、「正しいことを知っていながら何もできない、自分ではしたくないことをして疲れて思い煩っている」
今主が再臨されてクリスチャンの携挙があったなら、間違いなくわたしはレフト・ビハインド取り残されることだろう!
でもおかしくない?救いには、信仰のみ恵みのみ、どうして主は乙女たちの目覚めている頑張りを要求なさっているのだろうか??
努力次第で救われるなら信仰義認って何だろう?あ!!わかった!
必要なのは油なんだわ!!
油つまり聖霊を蔑ろにしないってこと

…少し悔い改めの祈りします。明明後日はペンテコステ。
 

十人のおとめの譬

 投稿者:十字架の陰  投稿日:2009年 5月28日(木)03時47分25秒
  十人のおとめの譬(マタイ25章1〜13節)
これは、非常にわかり易い譬話です。

まず、花婿の到着とは、主イエスの再臨のことでしょう。
また、十人のおとめとは、それを待ち望むクリスチャン達のことで、
その時が(再臨の時が)、地上での労苦や忍耐が報われ、信仰が完成する時でもあります。
しかし、五人は賢く、他の五人は愚かだと、イエスは言われます。
十人がそれぞれ手に灯は持っていたのですが、
賢い五人は予備の油壺を持っていて、灯が消えかかった時、いつでも油を補充できる態勢にありましたが、愚かな五人は、それを持っていませんでした。
花婿の到着がだいぶ遅れたので、皆うとうと眠り込んでしまいました。
突然、大声がしました。「たった今、花婿が到着された。
おとめたちは、それぞれ灯を持って花婿を出迎えるように!」
ふと、灯に目をやると、もう消えかかっていました。
賢い五人のおとめは、すぐ壺の油を補充して、元の明るさを取り戻しましたが、
愚かな五人のおとめは、それが出来ません。
それで、賢いおとめに油を分けてくれるようたのみますが、断られます。
しかたなしに、町へ油を買いに行っている間に、
門が閉ざされ、一切が手遅れになってしまいました。

何という悲劇でしょうか!
愚かな五人のおとめも、花婿が到着することは知っていたのです。
それで、そのために身支度を整え、灯もともして待っていたのです。
・・・が、花婿の到着が遅れたために、油が不足してしまったのです。
 

再臨の主が来られる時

 投稿者:オリーブの木  投稿日:2009年 5月27日(水)22時19分23秒
  再臨の主であるイエスは、いつ地上に来られるのだろうか。
黙示録19:9以下に書かれてある。

それから天使はわたしに、「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と言い、
また、「これは、神の真実の言葉である」とも言った。
・・・・・
そして、わたしは天が開かれているのを見た。すると、見よ、白い馬が現れた。
それに乗っている方は、「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義をもって裁き、また戦われる。
・・・・・
この方の衣と腿のあたりには、「王の王、主の主」という名が記されていた。
・・・・・
わたしはまた、あの獣と、地上の王たちとその軍勢とが、
馬に乗っている方とその軍勢に対して戦うために、集まっているのを見た。
・・・・・
しかし、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。
このしるしによって、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者どもは、惑わされていたのであった。
獣と偽預言者の両者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。

すなわち、ハルマゲドンの戦いの時である。
 

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