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マタイ25章に書かれてある5人の賢い乙女が持っていた油について考えてみよう。
黙示録11:3〜4には、次の通り書いてある。
わたしは、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、預言させよう。
この二人の証人とは、地上の主の御前に立つ二本のオリーブの木、また二つの燭台である。
ここに書かれているオリーブの木と概ね同じ内容が、ゼカリヤ4:11〜14に書かれてある。
わたしは言葉をついで御使いに尋ねた。「燭台の右と左にある、これら二本のオリーブの木は何ですか。」
わたしは重ねて彼に尋ねた。
「その二本のオリーブの木の枝先は何ですか。それは二本の金の管によって、そこから油を注ぎ出しています。」
彼がわたしに、「これが何か分からないのか」と言ったので、わたしは「主よ、分かりません」と答えると、
彼は、「これは全地の主の御前に立つ、二人の油注がれた人たちである」と言った。
彼らは油を注がれた者(ここでは預言者を指す)であり、また自らも油を注ぐ者である。
彼らが人々に注ぐものは、神の言葉である。
黙示録11:3〜4の二人の証人のうち、一人はエリヤと言われている。
マラキ4:5〜6に、次の通り書いてある。
見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に 預言者エリヤをあなたたちに遣わす。
彼は父の心を子に 子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように。
人々の心を神に向ける言葉を語ること、それが2本のオリーブの木が注ぐ油である。
賢い乙女も愚かな乙女も、共に最初はともし火を持っていた。
(最初は、共にイエスの言葉を心に持っていたことを意味する。)
けれども花婿が来るのが遅れたので、みな眠ってしまった。
(イエスの再臨が遅れたので、みな、どれが再臨の前のしるしか分からなくなったことを意味する。)
その時、2人の証人が出て、世の終わりのしるしについて証言し、また預言した。
賢い乙女とは、イエスの言葉だけではなく、2人の証人の言葉も大切だと考える人を言う。
彼女らは、この2人の証人の言葉を受け入れて行く。それにより、最初のイエスの言葉を忘れずにいる。
愚かな乙女とは、イエスの言葉だけを受け入れれば良いと考える人を言う。
彼女らは、2人の証人の言葉を無視する。その結果、イエスの言葉を無視してしまう。
黙示録11:8に、次の通り書いてある。
彼らの死体は、たとえてソドムとかエジプトとか呼ばれる大きな都の大通りに取り残される。
この二人の証人の主も、その都で十字架につけられたのである。
ここから読み取れる通り、2人の証人の主はイエスである。
ルカ9:48に、次の通り書いてある。
わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。
わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。
2人の証人を受け入れない者は、イエスの言葉を無視する者である。
イエスは彼らに対してどうするか。黙示録3:19に、次の通り書いてある。
すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。
だから、熱心になって悔い改めなさい。
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