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伏してこそ愛在り

 投稿者:平川 雅雄  投稿日:2009年 5月13日(水)01時20分38秒
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  >もう少し考えてみませんか。

>人が罪を犯す前に、神の愛があります。


私の簡略化した言い方は、誤解を招くようですが、
わたしは、「人は罪により神の愛を知ることができた」と言ったのであって、
人が罪を犯す前に、神の愛がなかったと言ったのではありません。

確かに人が罪を犯す前、楽園にいた時には人は神の愛の中にありました。
でも、その時に人は神の愛を感じることができたのでしょうか?
人が神の愛を感じなかったがゆえに、
人は罪(神のようになろうと)を重ねてきたのではないのでしょうか?
・・・ノアの方舟〜バベルの塔〜異教への傾倒など、その他もろもろ。

でも、人は十字架によって改めて自分の罪に正面から向き合い、
初めて神の愛の深さに触れたのではないでしょうか?
つまり、
自己の罪を自覚できないものは、
神の愛を悟る(感じる)ことができないのです。
また、自己の惨めさを直視できないものは、
神の偉大さを理解できないのです。

わたしの「罪を犯すがゆえに」とゆう言い方は
罪を推奨してるように聞こえますが、けっしてそうではありません。
ただ、罪なき人はいないのです。
(人は神の息を受けたがゆえに、すぐ思い上がり神のごとくなろうとする)

だからこそ、人には神が必要なのです。
 
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