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平川雅雄さん、こんにちは。
>人の命は神の霊に生まれ、
>命は時に摂理を外れ、
>罪を犯すがゆえに
>神の愛を知ことができる。
もう少し考えてみませんか。
天地創造の時、人は神に造られ、楽園に住まわせて頂いた。
また、人が気付く前から助け人が必要だと言われて造られました。
自分に合った助け人が中々見つからず、最後にあばら骨から女を造られた時、
ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。
これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう
まさに、男(イシュ)から取られたものだから。
と言いました。
この文章から、彼の喜びを感じ取ることが出来ます。
けれども、蛇にだまされて、食べてはいけないと言われた善悪の知識の木の実を食べてしまいました。
つまり、最初、神の愛がありました。けれども人は神に背いてしまいました。
出エジプトの時もそうです。
神は大きな力を振るい、エジプトを打ち、奴隷となっていたイスラエル人を救い出されました。
イスラエル人は、神の大きな愛を受けたけれども、その後、度々神に背いてしまいました。
放蕩息子の譬えを見てみましょう。
彼は、父が生きているうちから自分の財産を受け取りました。
けれども、父の元を出て、自分勝手に暮らして、全てを失ってしまいました。
いずれも、人が罪を犯す前に、神の愛があります。
このことを忘れないようにしたいと思います。
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