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m(_ _)m

 投稿者:木本 葵  投稿日:2009年11月27日(金)05時33分42秒
  讃えよ、主の民。御使いと共に。恵に溢れる、父・子・聖霊に…Amen.

北極狐さんへ
うちのHPにも、キリスト教掲示版あります^^
是非、お越しください^^
お待ちしております( ゚Д゚)b

田中和也さんへ
いい旅でありますよう、祈り申し上げます^^
機会があれば、広島の教会にもお越しくださいm(_ _)m
旅がご無事でありますよう・・・Amen.

皆さんに主のご加護がありますように・・・Amen.

http://shizukaze007.web.fc2.com/

 

福岡への巡礼

 投稿者:田中和也  投稿日:2009年11月26日(木)21時07分58秒
  こんにちは。みなさん。

こつこつとお仕事をしていて、日ごろの日曜礼拝へは、行けていませんが、徐々に福岡への巡礼の旅が近づいているように思っています。

巡礼は、信仰を深めるために、とても大切にされているようですので、私も徐々に頑張って行きたいと思っています。

一番最初に行くところは、博多希望教会です。

私が第一に救われたところですので、ここからが、足取りです。

北極狐さん、木本さん、同じ信仰の友として、今後ともよろしくお願いします。

アン・シャーリーさん、サマリア人さん、また出てきてくださることを期待しています。

http://pub.ne.jp/alan/

 

猫さんへ

 投稿者:北極狐  投稿日:2009年11月26日(木)20時21分2秒
  木本さん、

ご忠告、ありがとうございます!!
以前のハンネは、確か、猫耳堂さんでしたよね!
そちらのブログのほうも、書くところがあれば書きますので、
よろしくね〜!!
 

北極狐さん!

 投稿者:木本 葵  投稿日:2009年11月26日(木)08時57分59秒
  だめですよ〜^^

書き込まないのは、子羊村で書いちゃって、ネタがないだけ^^

北極ちゃまのせいじゃないよ〜♪

北極ちゃま、同じキリスト者として、いて欲しい^^

http://shizukaze007.web.fc2.com/

 

何か最近・・・

 投稿者:北極狐  投稿日:2009年11月26日(木)01時04分58秒
  僕が書き込みをすると、他の人が書かなくなるみたいだから、
これで終わりにします〜!!
 

ヨナの歌の歌詞

 投稿者:北極狐  投稿日:2009年11月24日(火)17時39分49秒
編集済
  若林さん、こんばんわ〜!

コメントありがとうございます。
ルーテル教会のこと、少しは分かってきました。
ところで、マルティン・ルターの有名な言葉を思い出しました。

「たとえ明日この世界が終焉を迎えようとも、私は今日もリンゴの木を植える。」というものです。

いかにもドイツ的で、バッハもこれと同じような生き方をした人のような気がします。
明日、この世界が滅亡してしまうのなら、今日、リンゴの木を植えても、
その実を採ることは不可能です。
一見、モノの道理をわきまえない不器用な生き様をした人のようですが、
しかし、世の中や世界がどう変わろうとも、自分が正しいと思ったことを毎日、
着実に行って行くことの出来る人は、信仰の人であり、幸せな人ではないでしょうか!
 

御子キリストの神性について

 投稿者:北極狐  投稿日:2009年11月23日(月)14時43分36秒
編集済
  初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。
できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
光は闇の中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
                  (ヨハネ福音書1・1〜5)

ヨハネ福音書の冒頭の有名な御言葉です。
ここで使われている「言(ことば)」という単語ですが、
ギリシャ語の「ロゴス」の和訳です。
この「ロゴス」は、日常会話としての言葉という意味もありますが、
哲学用語で、万物の根源をなす絶対理性の意味から転じて、
キリストのことを指し示す言葉として「ロゴス」が使われています。

まことに、キリスト様は、時というものが定められる以前の永遠の昔(原初)から、
神(御父)と共におられ、天において、ご自身が神としての栄光をお受けになっておられました。
そして、時を定めて、万物はこの方によって創造されました。
この方に命があります。この命は人の世を照らす真(まこと)の光であって、
二千年前、肉体をとって我々のうちに住まわれました。

創造主なる主を褒め称えましょう〜!!
御子を下さった神に、感謝いたしましょう〜!!

アァーメン!!
 

王の王イエス.キリスト

 投稿者:平川 雅雄  投稿日:2009年11月23日(月)11時57分47秒
  見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り
「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み
権威、威光、王権を受けた。
諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え
彼の支配はとこしえに続き
その統治は滅びることがない。(ダニエル7・13-14)

「人の子」:新約聖書にたびたび登場する「ことば」だが、
御子イエス.キリストを啓示する。
「日の老いたる者」:天地の創造主なる父なる神

*十字架上で王の王であることを啓示したキリストは、
復活して天に昇り神の右の座にすわり、
聖霊をとうして神の御国が完成をすることをダニエルは預言する。

*以下、ヨハネも黙示録において同様の預言をする。

見よ、その方が雲に乗って来られる。
 すべての人の目が彼を仰ぎ見る、
 ことに、彼を突き刺した者どもは。
 地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。
然り、アーメン。
 神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、
全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
(黙示録1・5-8)


「その方」:御子イエス.キリスト
「彼を突き刺した者ども」:この世の権力や富にしか価値を見いだせない者たち

*ヨハネの黙示録は、神の国の完成を預言する福音(喜ばしい知らせ)であり、
小賢しい無信仰者たちの主張するような、こけおどしの預言書ではない。


*イエスは御自分が、天より遣わされた
この世の王の上に立つ王の王であり、
神の御心を啓示するために生まれたことを明かされた。

イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。
わたしは真理について証しをするために生まれ、
そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」
(ヨハネ18・33b-37)

「願わくは、御父と御子と聖霊とに御栄えあらんことを
はじめにありし如く、今もいつも世々に至るまで、・・・アーメン」
 

移動します

 投稿者:平田  投稿日:2009年11月21日(土)07時55分22秒
  北極さん、木本さん、ありがとうございます。
勝手ながら、こちら
http://bible5.bbs.fc2.com/
の方に、移動させていただきました。
今後ともよろしくお願いいたします。

http://yohaku5.blog6.fc2.com/

 

ヨナの歌の歌詞

 投稿者:若林美智子  投稿日:2009年11月21日(土)00時24分20秒
  北極狐さん

白根ルーテルキリスト教会のホームページを訪れてくださってありがとうございます。現在、教会学校は毎月第2日曜日の朝のみで、11月はヨナの話でした。教会学校の先生から「ヨナの歌」を歌いたいのだけれど、楽譜はありませんかと相談され、数冊の讃美歌集を調べても見つからなかったため、楽譜をつくることにしました。そのため、皆様の中に2番の歌詞をご存知の方がいらっしゃらないかしらとお尋ねした次第です。通常は教会学校のページに楽譜は掲載しないのですが、今回は皆様にお伺いしたので載せました。http://church.ne.jp/shirone/joyjoy.html

ルーテル教会が一番カトリックに近いというのは、ルーテル教会は初代教会や中世教会の伝統を多く取り入れており、伝統的な典礼式文を用いているからです。もちろん、それらの伝統的なものはプロテスタントの聖書主義に一致するように見直されています。

また、バッハはマルティン・ルター博士の約200年後の人ですが、ルター博士の著作集を愛読し、ルター神学を非常によく理解していたと言われています。バッハが彼の作品の最後にSoli Deo gloria(ただ神にのみ栄光)と記入していたことは有名です。私もバッハが大好きですが、彼の揺るがない信仰がマタイ受難曲などの素晴らしい音楽を残したのだと思います。

白根ルーテル教会の聖書の勉強会ではルター博士が書いた「ローマ人への手紙講解」を主人が英語から日本語に訳したものを用いて勉強しています。毎週、ルター博士の霊的に深い聖書の解釈から信仰とは何かを教えられています。

http://church.ne.jp/shirone/

 

Re.ハレルヤ!!

 投稿者:北極狐  投稿日:2009年11月18日(水)23時18分51秒
編集済
  平田さん、
求道短歌の意味が良く分かりません。

バッテイさん、
この御言葉が好きでしたか。確かに、イエス・キリスト以外には、
人を救いうることのできる方は、世に存在していません。
世にはいろいろな宗教と名のつくものはありますが、みな人の頭で考え作ったもので、
その社会に適応するよう都合よく出来ていますが、神に対しては何の効果もありません!!

イエス様こそ、生ける神から遣わされた、世に生命(いのち)を与える
真(まこと)の救い主・キリストです。

そのことを、我らに知らせたのは神の御霊(みたま)です!アァーメン!!
 

平田さん、バッティさん

 投稿者:木本 葵  投稿日:2009年11月17日(火)11時05分7秒
  はじめましてm(_ _)m
今後ともよろしくお願いします~(=^--^;)ペコリ
わたしもまだ新参者です。キリスト教を信じるようになって、まだ1年ちょっと。本気で信じたのは、この土曜日からです。

わたしが、今好きな言葉は「何を怖れる。この信仰薄き者よ」です。
信仰薄き者でした。今は怖れません。

皆さんに主のご加護がありますように・・・Amen.

http://shizukaze007.web.fc2.com/

 

(無題)

 投稿者:バッティ恵一郎  投稿日:2009年11月16日(月)21時58分33秒
  書くの忘れました・・・下に書き込んだ御言葉は 使徒の働き4章12節です。  

ハレルヤ!!

 投稿者:バッティ恵一郎  投稿日:2009年11月16日(月)21時56分2秒
  初めまして、バッティ恵一郎と申します。突然ですが、僕はクリスチャンであることを誇りに思っています!本当にハレルヤ!!です。こんな僕をよろしくお願いします。。僕が好きな御言葉は『この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。』 イエス様以外には救いはない。この御言葉は日本人があんまり好きじゃないかと思います(ノンクリスチャン)何故かと言うと、日本人はこれをしないとだめ!とか決まりごとがあんまり好きじゃないからだと思います。どんな宗教を信じても結局は皆同じだと思ってる人も多いですしね。とにかく自分がクリスチャンである事に感謝です!では、改めて皆さんよろしくお願いします。  

求道短歌(ルカ18・35−43)

 投稿者:平田栄一  投稿日:2009年11月16日(月)10時46分49秒
  「主よ主よ」と叫び続ける信仰が嘉せられたる例もありなん

はじめまして、よろしければこちらを使わせていただきます。

http://yohaku5.blog6.fc2.com/

 

終末論について

 投稿者:北極狐  投稿日:2009年11月15日(日)15時55分14秒
編集済
  自分が認識していたところでは・・・

「終末」という概念には、二つの山が重なっているように思えます。
一つ目の山は、イエス・キリストを拒んだイスラエル民族に対する神からの裁きとして、
西暦70年のユダヤ戦争に見られるように、ユダヤ国家の崩壊と民族の世界的離散があげられます。
二つ目の山は、この不信仰な時代の終わり。つまり、神さまの忍耐の限界の時に起こるであろう
地球規模での大艱難とあらゆるものの滅亡。
教会では、特に、後者の意味で言われていることが多いようです。

この終末に起こる「艱難期」は、全部で7年あると聞いております。
前半の3.5年が小艱難期、後半の3.5年が大艱難期であり、イエス・キリストの再臨は、
この前半の小艱難期の終わり頃に、空中再臨という形で全ての聖徒たちの携挙が行われる。
その後、大艱難期により地球規模での滅亡が行われる。
それらが終わった段階で、キリストは全ての聖徒や御使いたちを引き連れて、
地上に降りて来られる。そこから千年の期間、至福の時代が訪れる。

大雑把ではありますが、このように記憶しております。
実際、このように成るかどうかは自信が持てませんが、
終末のことはボンヤリしか分からないので、他の人とは食い違いがあるかとは思います。
 

ヨナの歌の歌詞

 投稿者:北極狐  投稿日:2009年11月14日(土)16時13分12秒
編集済
  若林さん、こんにちわ〜!
そうだったんですか?ホームページ、拝見いたしました。
「白根ルーテルキリスト教会」の牧師夫人の方でしたか、大変失礼いたしました!
「ヨナの歌」は、あそこのサンデー・スクールのページに載せるためのもの
だったんですね!
実は、知人にもアメリカ・カルフォルニア州から来た、
ルーテル教会の牧師ご子息がおられましたが、
プロテスタントの中でも一番カトリックに近いほうの教会だと話しておられました。
日本では教会の数はそう多くないそうですが、ヨーロッパでは話が違います。
本国のドイツでは、有名な大バッハやヘンデルもルター派に
所属していたほどの勢いだとか。
僕も毎日、バッハの曲はよく聴きますが、赤毛の祭司・ヴィヴァルディの曲も大好きです。
 

御解答、ありがとうございます

 投稿者:田中和也  投稿日:2009年11月12日(木)16時52分10秒
  平川 雅雄兄弟、御解答いただき、ありがとうございます。
教会によって、いろいろな味があることだと思いますので、それぞれの良いところを認めていけばいいかと思います。
私が教会に復帰するかどうかはわかりませんが、人生にとって、良いと思ったら、復帰すると思います。
今後とも、よろしくお願いします。

http://pub.ne.jp/alan/

 

沈黙のことば

 投稿者:平川 雅雄  投稿日:2009年11月11日(水)03時02分25秒
  人間同士の交わりと神を介しての信徒の交わりは異なります。
人間の交わりは、言葉を媒体として一部始終、懇切丁寧に、気持や意味を確認し合います。
神を介しての信徒の交わりは、「聖霊の交わり」ともいわれ、
祈りの中で、沈黙の中を伝達し合います。
たとえれば、禅の「以心伝心」が近い状態なのかもしれません。
信徒同士の交わりは、
日常生活において一見冷たい、希薄な人間関係にみえても、
実は深いところでは、神を介して繋がっているのです。

これは、プロテスタントとカトリックの違いではなく、
信仰上における祈りのウエイトの違いです。
祈りとは神との対話です。
カトリックの場合は、祈りのウエイトが大きいため、
聖書を特に大切にする理知的なプロテスタント信徒には、
カトリック信徒が、日常的な交わりにおいて、冷たく映るのかもしれません。
厳密にゆうと、神を介さぬ人間同士の交わりである「ヒューマニズムの愛」と
「聖霊の交わり」の中での信徒の交わりである「神の愛」とは異なります。
キリスト教でよく引き合いに出される愛は、
もちろん、この「神の愛」のことですが、
ベタベタした「ヒューマニズムの愛」とよく混同されます。
イエスは「自分の家族や友達すら憎まないなら、私の弟子にはなれない」
と仰せになりましたが、
この主の「御ことば」は、もちろん身近かな者を憎めとゆう意味ではなく、
「ヒューマニズムの愛」と「神の愛」を混同するなとゆう意味です。

*イエスは言われた。
「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、
父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、
これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。
自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、
だれであれ、わたしの弟子ではありえない。」(ルカ14章・26節)


そして、イエスは、
神を介さね「ヒューマニズムの愛」が表面上だけの結びつきで
如何にもろいものであるかを警告されました。


*イエスは言われた。
「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。
そうではない分裂だ。
父は子と、子は父と
母は娘と、娘は母と
姑は嫁と、嫁は姑と対立して分かれる。」(マタイ10章.34-36)


キリスト信徒は、祈りによる「沈黙のことば」をもっと理解すべきです。

*はじめに「御ことば」在り、
 すべてのものはこれにより生まれた。
「御ことば」は神である。(ヨハネ1章)

信仰とは、教派の教理の優劣を求めるものではなく、
神の愛の中で命の糧を求め合う道です。
 

ヨナの歌の歌詞

 投稿者:若林美智子  投稿日:2009年11月10日(火)23時20分33秒
  北極狐さん、皆様、
いろいろとご協力ありがとうございました。残念ながら、「ヨナの歌」の2番は見つけられませんでしたが、「ヨナの歌」の楽譜を起こしましたので、白根ルーテルキリスト教会のホームページhttp://church.ne.jp/shirone/の教会学校ジョイジョイ・サンデー・スクールのページに載せました。ぜひご覧ください。

ところで、主人は白根ルーテルキリスト教会の牧師をしており、毎週の聖書箇所を分かり易く解説した、書き下ろしのミニメッセージをメールマガジン「祝福の人生を望む方に贈る聖書のお話」で配信中です。読者登録はhttp://www.mag2.com/m/0000280796.html から出来ますので、よろしくお願いいたします。

http://church.ne.jp/shirone/

 

実は

 投稿者:田中和也  投稿日:2009年11月10日(火)16時56分54秒
  実は、私は、カトリックに行く前までは、プロテスタントの教会に行っていました。
ですから、プロテスタントの教会に行っている間のほうが、長いのです。
小学4年の9歳のころ、プロテスタントのクリスチャンの家に招かれて、教会学校に行っていました。
学校の近所にあったものですから、通いやすかったのです。
母は、そろばん教室や、塾へ行かせる方を勧めたのですが、私の方が、熱心に通っていました。
ですから、ここで、プロテスタントの教会へ通っておられる方と交わるのをとてもうれしく思います。
なぜカトリックになったのかは、後ほどお話しますが、プロテスタントの教会に行かれる方の気持がよくわかります。
カトリックは、私が思うに、冷たいと思っています。
なぜ、冷たいのか、私にはわかりませんが、通いにくいことは本当です。

http://pub.ne.jp/alan/

 

信じ尽くす

 投稿者:平川 雅雄  投稿日:2009年11月 9日(月)23時55分22秒
  恐れてはならない。
「主が地に雨を降らせる日まで
       壺の粉は尽きることなく
       瓶の油はなくならない。」
              (列王記上17・10-16)



命あるすべてのものは神をたたえよ、
心を尽くして神をたたえよ、
命あるかぎり神をたたえよ。

神はとこしえにまことを示し、
貧しい人のために裁きを行い、
飢え渇く人に糧を恵み、
見えない人の目を開き、
従う人を愛される。
        (詩編146)



この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて入れた。
                   (マルコ12・38-44)
 

なんとかがんばります^^

 投稿者:木本 葵  投稿日:2009年11月 9日(月)13時59分17秒
  わたしは、例え悪魔が蔓延り、彼らに蹂躙されようとも、神様や主イエス様があきらめないように、神様や主イエス様を忘れず、あきらめません! 己に打ち勝ちます・・・

と、言葉にするようなわたしは、多分、
鶏が朝鳴くまでに、3回以上、その時は神様と主イエス様を知らないというでしょう。

もっと勉強して、己を磨いて強くなりたいです。弱いです、わたしは・・・><

http://shizukaze007.web.fc2.com/

 

(無題)

 投稿者:サマリア人  投稿日:2009年11月 8日(日)23時23分33秒
  こんにちは
ここは、実名なのですね。。。 よんでませんでした (^^)
しかし、責任もってお話しするので、またもやサマリア人というハンネで
ご勘弁ください。

田中和也さん こんにちは
わかりやすいと 感じていただいて 光栄です。
私自身、クリスチャンになりたてですので。。。自分にもわかりやすくという感じなので。。。こんな感じになります。

日曜礼拝にいけませんでしたか。。
わたしも、毎週は通えていません。(見本にならない。。汗汗)
平安でありなさい。。 という挨拶のことばもありますが、
自分自身が平安であれば、日曜日に家族サービスで 出かけたり、
友人や両親など家族を訪ねるために 礼拝に参加できないというのは
悪いことではないと思うのです。

どの場所でも、自分が神とともにいるのですから、もし 元気のない人や
不安な人に 平安をお裾分けできるかもしれないですから。。

ただ、私自身もそうですが、自分が落ち込んでいるときは、(霊的に弱っているとき)教会や、兄弟姉妹の交わりにいくことは 励ましになることが多いですね。。 エネルギー充電。。もかねて(*^^)
祈りも もちろん大きいのですが。。、 創世記で 神がアダムに対して。。人は 独りでいるのはいけない。。。ともおっしゃっているので。。
人との交わりによって 悲しみが緩和することもあります。。
孤独は 実際の悲しみや、苦しみを 倍増させるとよくいいます。
実際、悩みを相談をしたりする訳でなくとも、神を愛する人たちのもとにいる。
その安心感は、肌で 霊的に?感じるものです。

ですので、礼拝は無理のない範囲で、平安なきもちでありましょう〜
 

いつかは

 投稿者:田中和也  投稿日:2009年11月 8日(日)21時34分51秒
  今日も、日曜日なのに教会に行けませんでした。
私は思うのですが、カトリックであろうが、プロテスタントであろうが、日曜日、礼拝に行けるっていうことは、素晴らしい恵みであると思うのです。

木本 葵さん、戻ってきてくださって、とてもうれしいです。
日曜日、礼拝に行きつつ、ここで交わるだけでも、いいじゃありませんか。
私としては、とてもうれしいことです。
サマリア人さん、いつも複雑な内容を答えてくださるだけでも、ありがたいです。
とても、わかりやすい解答で、答えてくださってますので、とても読みやすいです。
いつも励ましてくださって、ありがとうございます。
また、ハンネが変わっても、ここで交わることができて、とてもうれしいです。

いつかは私も、日曜礼拝に行けることを望んでいます。
皆さんに主の祝福がありますように。

http://pub.ne.jp/alan/

 

Zerberusです。

 投稿者:木本 葵  投稿日:2009年11月 8日(日)20時56分49秒
  何度もハンドル変えてすみませんm(_ _)m
本名でいきます。

わたしが、ザアカイ様やこちらから去るという決断を、
責任の取り方として最良と考えていましたが、
反駁し、論理的に考えを再構築してみると、
自分の中に「逃げ」を発見しました。

これは、責任の取り方ではありません。
前ほど書き込みはしません。呼ばれたら出てきます。
つまり、ずっと見ています。
逃げません。それがわたしが再構築して出した、
合理的な責任の取り方です。

色々、ご迷惑おかけしてすみませんm(_ _)m

皆さんに主のご加護がありますように・・・Amen.

http://shizukaze007.web.fc2.com/

 

今月の礼拝

 投稿者:池袋ゴスペル会  投稿日:2009年11月 8日(日)13時28分20秒
  今月の池袋ゴスペル会は、第3聖日
11/15Am10:30〜12:20
池袋駅より豊島区勤労会館第1音楽室
シャローム
 

(無題)

 投稿者:サマリア人  投稿日:2009年11月 8日(日)02時05分5秒
  猫さん
サマリア人さん でいですよ〜
私も、カソリックではなく 福音系?バプテスト派に近い
プロテスタント教会にかよう、クリスチャンです。
キリストを神の子、主と認めるものは クリスチャンですよ〜

性同一性障害というのは たしかに 難しい問題です。
もちろん、人によって 許容範囲や、価値観が違うので
それこそ、使途時代のように、信仰に弱い人がつまずかないように、肉をたべないとかあるように、
あえて、その事実を隠す必要のあることもあるかもしれません。
それは生前交渉、不倫、離婚や再婚、堕胎の問題でもおなじですよね。。
信頼できる人のみに、話すのですから。。 もしくは 時を見て、必要に応じて
話していく訳です。。

建前と、本音ではありませんが。。自分と相手の信仰を守るためにも、適切なときに ものをいうということは。。本当に難しいですよね。
しかし、舌によって罪を犯さないものはいないですから。。

こちらは、宗教を通さなければ ジェンダーの問題にかなり おおらかですね。
ただ、カソリック、福音派はかなり慎重ですが。。
私の教会も、保守的ですが、離婚をして再婚をしている 夫婦もいます。

離婚で一番問題なのは、別れることで 相手を精神的に 経済的に追いつめることですよね。。  しかし、その問題をクリアしていれば、
現代においては 当人同士には問題がない訳ですよね。。。
でも、離婚がよいこととはいいませんが。。
あとは、個人的に 神との関係のみが重要な訳です。

性の傾向の問題は、現代の人間にとっても、当人も相手も、同意の上であって、成人で独身であれば。。。いいという問題ではないですから。。難しいところですよね。。
でも、ひとには 不可能でも 神には可能である!! です
思いもつかない方法で、私たちの 疑問や悩みを 解決してしまうのが
主ですよ。

あきらめずに、主を慕って 感謝し、賛美すること。。
これしかないですよ〜
 

サマリア様

 投稿者:Zerberus  投稿日:2009年11月 7日(土)21時43分13秒
  本当に、申し訳ありませんでしたm(_ _)m

わたしが癒してもらってどうする?って感じです。ありがとうございますm(_ _)m
わたしは、やっぱり偏屈です。
今回の件で日本基督教団様にもご迷惑をかけたと思い、
進退伺いを出しました。

わたしはカソリックではないので、クリスチャンではなく、また、近いし友達にその教団の牧師がいるからという理由だけで、教会に通ってました。洗礼も受けてないので、わたしは日本基督教団の信徒でもありません。通ってたというだけの無関係な教会です。
神様と主イエス様と聖霊の皆様を身近に感じられるなら、どこでもよかったのです。
なので、今回の件は、牧師先生が言われていた言葉は、偽証せず、そのまま書きましたが、書くべきではなかったと反省してます。
それで日本基督教団様にご迷惑をおかけするという大きな事になったことは、すごく申し訳なく思っています。

わたしの処遇については、明日結果が出ると思います。
教会に行けなくなるかもしれません。いや、そう望みました。そうお伝えしました。
わたしのような異端的考えを持っている者が通うとなると、
どうしてもご迷惑をおかけすることになるやもしれません。

その教会の牧師様からも注意されていたことです。「性同一性障害を理解しようとする人は少ない。わたしも理解はしたいが、分からないのです。だから、それを教会では隠しなさい。教会の他の方々も様々で、それが知れたらどうなるか、わたしも予想はつきませんが、賛同する人ばかりじゃない。それを表に出して辛いのはあなたですよ」という言葉です。

それが、HPに載せてることと、自分で言っちゃったことが悔やまれてなりません。

結局、多くの方にご迷惑をおかけするという自体になった訳ですから、責任は取らねばと思っています。

以前、自分が担当する授業に出ていたルーマニアの留学生さん(キリスト教徒)の方と、この事で、少し話をしたことがあります。ルーマニアでは、そんなことは問題にならない。なるのが不思議といわれ、信仰は個人のありようであると言われてびっくりしたことがあります。

イスラム圏などでは、死刑の対象にさえなるものですから・・・
タイとインドネシアの一部では、わたしのような者がいないと、司祭役をしないと結婚できないという風習が残っています。両性を象徴する者とされているようです。イスラム圏でも違うところもあるようです。

いけません。これだから、トラブる><
自分の正当化は、防御を通り越して、すでに高きプライドになってしまっています。この役にも立たないほど高いプライドは、妨げになると分かってても治らない・・・ 偏屈ですね^^;

どうやら、わたしのスタンスは変えようがなく、異端の信仰者であり、異端の科学研究者になっているようですね。トラブルメーカーとなっているようです。いけません>< ダメダメですね^^;

明日の結果によって、こちらにも伺うか、旧ハンネ「アン様」にも飛び火が心配なので、決めたいと思います。

もし、どこの教会にもいけなくなると、独学になりますね^^ それが心配です。なので、カアザイ様とこちらは、ずっと拝見しようと思います。独学だと独りよがりになりますから^^;

サマリア様、皆様、暖かいお言葉ありがとうございましたm(_ _)m

皆さまに主のご加護がありますように・・・Amen.

http://shizukaze007.web.fc2.com/

 

(無題)

 投稿者:サマリア人  投稿日:2009年11月 7日(土)17時36分14秒
  はじめまして サマリア人です

猫さん、ケルベロスさん 心配しないでください。
励ましてくださっている お気持ちは 十分わかりましたから。(^^)
どうしても、100%正しいかどうか わからないというのは
不安になるところもあるのですが、
私も 地獄と 黄泉の違いがあるということは 信じているので、
だいじょうぶですよ〜

ただ、叔父には 親戚として。。できれば福音を生きている間に 受けてほしかった。。という 残念な思いがあるのですよね。。
やはり なくなる間際でも 平安さがちがうとおもうので。。

猫さんの個性は そのままで いいのだとおもいます。
コリント第一 7章17節「おのおの主から分け与えられた分に応じ、それぞれ神に召されたときの身分のままで歩みなさい。これは、すべての教会でわたしが命じていることです」
科学者として、論理的に 検証したい。。それによって、神の真実性を
確信していきたい。。それも
猫さんの個性 神への誠実な思いなのだと思います。

私にとっては 聖書の解明や解釈が100%わからない いや50%もわかっているかどうかも。。疑問ですが。。、教会への信頼の置き方、クリスチャンのあり方。。
その不安を 超越するものが、 神の愛と正義と キリストの再臨という約束への信頼、希望、聖書の教えの、人間の罪故の苦しみの真実性を
確信したからです。(^^)

実は現在、ドイツに10年近く 在住しています。
ドイツでは人口の8%が外国人、私の住む ベルリンでは186の国々から来た外国人がベルリンの人口を14%も占めています。。
道をあるけば 外国人にあたるです。。(^^)
キリスト教精神と、自由、平等と博愛(このモットーも神を抜かしているので源泉は怪しいところですが)の精神が一応 名目として認められている社会でも、同化ではなくて、共存というテーマはとても重要です。
自由、容認だけじゃ 人は幸せにはなれません。。 共存には秩序をいかに保つか。。
自我だらけの人間には 難題です。。そこで神の権威が必要だと実感します。

同国人ですら 生まれ育った価値観や 物事の捉え方などの違いによって理解が難しいですが、異なった人種、国、文化を受け入れることも、さらに偏見や、不寛容さ、高慢さ、過度の干渉、無関心さによって、いかに難しいことかも 実感しています。

神は 地上の人間の苦しみを 断腸の思いでみながら、人間に 神の権威における秩序ある平安と愛のある支配か 人の不安定な、不公平な支配かを 自主的に選択する 時間を与えられたとおもってます。
神の介入なしには 本当の平和は ありえない。。 平安はおとずれない。。
平安の都  天のエルサレム。。

主の再臨を心待ちにしてます。
 

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